世界はデータで動いている 中学レベルで学ぶ統計・データリテラシー教材

データの限界と失敗の事例:平成の米騒動

データが外した歴史的パニック

1993年、日本中が「米が買えないかもしれない」という不安に包まれた出来事があった。いわゆる「米不足」だ。スーパーから米が消え、長い行列ができたのは事実だ。
農林水産省の資料(※農林水産省「作況調査(1993年)」)によると、この年の作況指数は全国で74と、平年を大きく下回る不作だった。一方で、政府は備蓄米の放出や緊急輸入を進めており、政府在庫や輸入量の推移は『食糧管理統計年報 平成5年版』に記録されている。つまり、国全体としての供給量は最低限の需要を満たす水準には確保されていたことが分かる。
それでも店頭から米が消えたのは、「米が足りない」というニュースをきっかけに、人々が一斉に買いに走ったためだ。買いだめが買いだめを呼ぶ連鎖が起き、需要が急にふくらんだのである。データ上は供給が確保されていても、人々の不安という“データに表れない要素”が社会を大きく動かした例だ。

なぜ予測は外れたのか?

気象庁は過去の気候データから作物の収穫量を予測していた。でも、1993年の冷夏は「戦後最悪レベル」で、過去のデータが役に立たなかった。これが「データの限界」の一つ。予測モデルは「過去に起きたことの範囲内」でしか働かない。経験したことのない出来事には弱いんだ。
さらに、もう一つの問題があった。メディアが「米不足」を繰り返し報道したことで、実際には不足していなかった地域でも買い占めが起きた。農林水産省は「十分な量がある」というデータを出していたのに、人々は目の前の空っぽの棚を信じた。
「データ」と「実感」がズレたとき、人は実感を信じる。これも、データでは予測できなかった人間の行動だ。
データには「想定外」に弱いという限界と、「人の心」は数字にならないという限界がある。

データは道具、使うのは人間

この米騒動から学べることは何だろう?データは万能じゃない。どれだけ精密な予測をしても、想定外のことは起きるし、人間は感情で動く生き物だ。大事なのは、「データを疑う力」と「複数の情報を見比べる力」。
たとえば、SNSで「○○が品切れ!」という情報を見たら、一度立ち止まろう。公式な発表は?他のニュースは何て言ってる?本当に必要な分だけ買えば足りるんじゃない?
データはすごく便利な道具だけど、それを使うのは私たち人間。データに頼りすぎず、かといって無視もせず、うまく付き合っていく姿勢が大切なんだ。